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三大神とその神妃

トリムールティの神話と伝説
シヴァ ブラフマー ヴィシュヌ
パールヴァティー ガネーシャ ダクシナームールティ
ドゥルガー アイヤッパン サラスヴァティー
カーリー マニカンタ ラクシュミー

 



पार्वती パールヴァティー神

シヴァの愛を受けた山の女神

シヴァの最初の妻サティーの生まれ変わりとされ、穏やかで心優しい、美しい山の女神といわれている。豊満な乳房と肉体を持つ理想のインド美人として描かれている。シヴァのパワーの源とされ合体神としても崇拝される。恐ろしいが人気の女神 ドゥルガーやカーリーとも同一視され、パールヴァティーの変身した姿とされている。シヴァとパールヴァティーのなれ初めについては、シヴァをご参照ください。




दुर्गा ドゥルガー

魔神ドゥルガーを打ち負かすため神々に生み出された無敵の女神。

『魔神ドゥルガーは、神々を倒し、天と地と地下を征服し神々を追放してしまった。
魔神は自然界をも自由にあやつり混迷させ多くの人々が苦しめられた。神々はシヴァに救いをもとめる。シヴァは妻にそれを託した。
彼女は1000本の腕を腕を生み出して魔神と激しく戦った。魔神も無数の兵隊を出現させて立ち向かわせた。兵隊は暴風雨のような矢を放つが、1000本の腕は、その矢をことごとく叩き落とす。続いて魔神はおおきな山を引き抜いて投げつけてきた。
しかし、彼女は山を7つに砕くと、魔神の胸に矢を放つ。その矢は見事胸を貫き、魔神は倒された。戦いに勝った女神は、魔神ドゥルガーの名をとり、「ドゥルガー女神」と名乗ったのだった。』

戦うために生まれた殺戮の女神

『アラス(魔神)の王マヒシャは、その恐るべき力と数多くの軍勢で神々を退け、天界の盟主となってしまった。天界を追われた神々は、シヴァとヴィシュヌに助けを求めた。このいきさつをきいた2神は激しく怒り、その怒りはマヒシャを倒す女神を生み出した。ドゥルガーは全世界を覆い尽くすような光を発し、マヒシャに襲い掛かった。ドゥルガーは魔神討伐のため神々から武器を、ヒマラヤの神ヒマヴァットからはトラ(ドゥン)を乗り物として授かった。ドゥルガーは次々とアスラの軍勢を滅ぼし、最後に水牛の姿をしたマヒシを討ち取った。』

シュムバ、ニシュムバとの戦いでは、怒りによって黒くなったドゥルガーの額から女神カーリーを生み出した。この女神はドゥルガー以上に純粋に戦闘を楽しむ女神とされる。さらにドゥルガーは逆立った髪から7人(あるいは8人)の戦いの女神・マトリカスを生み出している。

ドゥルガーは元々、インド半島部のデカン高原の奥地に住むインド先住民であるデカンの民の神であったとされている。インド全土で篤く敬われているが、特にベンガル地方(東インド)での信仰が盛んで毎年9月~10月頃9日間かけてドゥルガー・プジャー(お祭り)が行われる。




काली カ-リ-神

カーリーは、凶悪な力との戦いの中で我を忘れ、見えるすべてを破壊し始めたほど、多くの殺戮を繰り返し、強力な女神の形となった。 人生におけるさまざまな悪影響から人々を解放すると信じられている。

『魔神マヒシャの亡き後、シュンバとにシュンバという魔神の兄弟が、全世界を征服しようとしていた。苦戦を強いられた神々はドゥルガーに助けを求めた。

ドゥルガーの最初の戦いの相手は、手下のチャンダとムンダだった。ドゥルガーは激しい怒りの声をあげると、顔が真っ黒になり その恐ろしい表情からひとりの女神が現れた。

カーリーの誕生であった。

目を赤く血走らせ、天空を恐怖の叫び声でみたしたカーリーは、魔神の軍勢を食い殺しはじめた。そして、チャンダとムンダの首をあっという間に切り落としてしまった。

次に立ちはだかる魔神は、ラクタビージャだった。この魔神は、自分の血が大地に落ちると、自分と同じ魔神を生む力を持っていた。カーリーの攻撃で血を流す度、魔神が生まれ戦場は魔神の群れで埋まりそうになった。そこで、カーリーは、魔神を殺しながら口を開けて流れ落ちる血を飲み始めた。すべての血を飲み尽くされたラクタビージャは命を失った。

やがて、シュンバとニシュンバもカーリーに殺された。


すべての魔神たちを殺し尽くして血に酔ったかーりーは、勝利の踊りを舞いはじめた。それはまさに、狂喜そのものだった。あまりにも強い力で舞うので、大地が割れそうになってしまった。神々はシヴァに踊りをやめてくれるよう懇願した。彼が声をかけてもカーリーの激しい踊りはいっこうにやまない。仕方なく、シヴァは彼女の下敷きになり衝撃を和らげた。ようやくカーリーも、夫のこの姿をみて正気を取り戻した。 』

ドゥルガーの怒りにより生み出されたカーリーは、地域によってはドゥルガーをしのぐ信仰を集めている。

シヴァもそうだが、肌の色が青くえがかれているのは、「土着の要素を強く残す神様」 というのをあらわしているといわれている。





गणेश ガネ-シャ

知恵と富をもたらす象頭神

学問と商売の神さま。観喜天。 象の頭にポッコリおなかが愛らしい。4本の腕を持ち、よく見ると片方の牙は折れた姿。あらゆる障害を取り去り、富をもたらすとされる。物事を始めるときはまずガネーシャに祈りを捧げると良いとされる。

『あるとき、パールヴァティーは自分の召使いを作ることを思い立った。夫のシヴァの従者は大勢いたが、自分の自由にはならなかったからである。彼女は体の垢を落とすと、香油で練り上げて人形を作り、生命を吹き込んだ。そして-息子よ、私は水浴をするのでだれも入ってこないように番をしていなさいーと命じた。そこにシヴァが戻ってきた。見知らぬ青年がいて、自分を中に入れない。しばらく言い争ったが決着がつかない野で、戦いになってしまった。パールヴァティーの息子は強くシヴァの従者では太刀打ちできなかった。とうとうシヴァ自身が出てきて、ついにガネーシャの首をはねてしまった。 これを知ったパールヴァティーは、息子が死んでしまったことにひどく悲しんだ。気の毒に思ったシヴァは、従者に-北に歩んで最初に出会った者の首を取ってこい。その首をつけよう-といった。従者が最初に出会ったのが片方の牙が折れた象だったので、ガネーシャは象頭の人間として再生した。そして、シヴァとパールヴァティーの長男という位置についた』

ガネーシャの右の牙が折れていることについては、パラシューラマと争ったとき、右の牙で斧をうけとめたともいう。避けることはできたが、その斧が父シヴァからの贈り物だということに気づいて敬意を表したためだ。あるいは、夜道で転んだのを月が笑ったので、牙を折って月になげつけたという話もある。


日本の仏教ではガネーシャを起源に持つ歓喜天(聖天)が天部の護法神として信仰される。



アイヤッパン

シヴァとヴィシュヌ両神から生まれたという神

南インドのケララ州地方で人気があり、信仰されている神アイヤッパン。インド神話のシヴァとヴィシュヌの合体神・別名ハリハラ。右半身がシヴァで、左半身がヴィシュヌ。ハリがヴィシュヌを意味し、ハラがシヴァを意味する。創造と破壊を象徴し、魔神を滅ぼす英雄神として祀られてる。

中腰の姿勢で、両膝にヨーガパッタを巻いた若者の姿で描かれている。人々に恩恵を与え、病気を治す神として、古くから民間の信仰をあつめている。





マニカンタ

アイヤッパンを祀るケーララ州の寺院では、マニカンタというアイヤッパンの幼少期の神話が伝わる。

『マドゥライの王族ラージャセーカラ王がバンパー湖で狩りをしていた時、どこからともなく子供の泣き声がきこえてきた。泣き声を頼りに探していくと、首から宝石を下げている幼児を見つけてた。どうやら捨て子のようだ。王は、この子にマニカンタと名をつけ、神から授かった子として育てた。

やがて、マニカンタは学問も武芸も誰にも負けないほど優れた少年に成長した。王はマニカンタを自分の後継者として王子に据えようと考えていたが、王妃は血のつながった息子を王位につかせるため、謀りごとをたくらんでいた。王妃は自分が重病だと偽り、医者を抱き込んで、最良の薬は豹の乳であるという見立てをさせた。マニカンタに恐ろしい豹の乳を取りに行かせ、亡き者にしようという魂胆であった。

しかしマニカンタは、臆せずに森の奥へと出かけて行った。そこには、マヒシャという恐ろしい魔人が棲んでいたが、マニカンタは難なく退治してしまった。実は、彼は神の子であり、このマヒシャを殺すため地上に生まれたのである。

そうして豹の群れを連れ町へ戻ったマニカンタは、人間界を去ろうとするが、王がマドゥライに留まってくれるように懇願したので、この地に残り、礼拝されるようになった。』




ダクシナ-ム-ルティ

ダクシナ-ム-ルティは、学問、音楽、ヨーガ等の知識を授ける師として、シヴァ神が化身した神と考えられている。 弟子たちの湧き出る疑問に、ダクシナ-ム-ルティは沈黙で答えた。

ダクシナームールティは心を込めて祈る者に、彼自身を至高の静寂へと溶け込まし、彼らも至高の静寂、自らという真の境地へと溶け込でいく。


沈黙の伝授は最も完全なもの、それは見ること、触れること、教えることをすべて含んでいる。

そしてあらゆる方法で個人性を浄化して実在の内に確立させると考えられてる。

ダクシナ-ム-ルティ神像や絵画は、インドの神々の中でも唯一、南向きに安置される。

インドにおいて、南は死を意味する方角のため、ダクシナ-ム-ルティは死すなわち変化をもたらす神といわれている。





सरस्वती サラスヴァティ-

芸術、学問などの知を司るヒンドゥー教の女神。日本ではおなじみの弁財天。 日本では七福神の一柱、弁才天(弁財天)として親しまれており、仏教伝来時に『金光明経』を通じて中国から伝えられた。

4本の腕を持ち、2本の腕には、数珠とヴェーダ、もう1組の腕にヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャクの上、あるいは蓮華の上に座る姿として描かれる。白鳥・クジャクはサラスヴァティーの乗り物である。

古代聖典「リグ・ヴェーダ」では、サラスヴァティー河が神格化されたものとされている。

『もろもろの川の中で、ただひとりサラスヴァティーはきわ立って勝っている。山々より海へ清く流れて、広大な世界の富を知っており、人類にグリタ(液状のバター)と乳をもたらしてくれる。恵み深きサラスヴァティーよ、われわれの祭祀を快く受けて、願いに耳をかたむけよ。われわれを庇護の下に置き、救いの場所に導きたまえ。あたかも緑豊かな木陰に入るように』

ブラフマーの神妃あるいは娘ともされるー知識を司る女神。

『ブラフマーは、自分の中からひとりの美しい女神を作り出した。そのあまりの美しさに思わず見とれてしまった。しだいに~いつまでも見ていたい~と感じるようになった。四方どこにいてもサラスヴァティーの顔が見ることが出来るように、ブラフマーには4つの顔が生じた。彼女はいつも視線をむけられることに耐えられなくなり、天空へと逃げた。だが、ブラフマーには天空を見る5つ目の顔が生じた。視線から逃れられないことを知ったサラスヴァティーは、ついにあきらめて、彼の妻となり、人間の祖先マヌを産んだ。』

やがて、あらゆる技芸の神としても信仰をあつめるようになった。

学問の神様としては大変あがめられている。





लक्ष्मी ラクシュミ-

蓮の花を両手に持ち蓮花に乗った幸福の女神ラクシュミー

「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)」の際に、海水の泡から誕生し、ラクシュミーの美しさに神々も魔神もただただ驚嘆するばかりだった。ヒンドゥー教の最高神の1人ヴィシュヌの妻とされており、ヴィシュヌが化身になったとき、それぞれに応じて姿を変え登場する。

『アタルヴァ・ヴェーダ』では、複数のラクシュミーが出現し、ある者は幸福の女神だが、ある者は不幸の女神としての役割を果たす。別名のチャンチャラーが「気まぐれ」という意味なのは、この表われといえるかもしれない。不幸を司る女神を姉に持つともされ、ヴィシュヌの妻になる際に「私があなたの妻になる条件として姉にも配偶者を付けるように」とヴィシュヌに請願し、ある聖仙(リシ)とアラクシュミーを結婚させ、晴れてヴィシュヌとラクシュミーは一緒になったという神話も一方で残っている。

仏教にも取り込まれて吉祥天と呼ばれている。福徳安楽を恵み仏法を護持する天女とされる。

 

インド最大の祭りのひとつディーワーリーは、ラクシュミーにも関係したもので。特に北部では密接に結びついている。毎年会費9月~10月に盛大におこなわれ、ラーマ王子の凱旋にちなむという。各家の入口には、ラクシュミーを招き入れる為の飾りや供物が並び、富と幸運に満たされることを祈願している。




※参考にさせていただきました。

●『ヒンドゥー教の本 インド神話が語る宇宙的覚醒への道』 学習研究社2005年

●『インド 神々の事典』ビジュアル決定版 学習研究社

●山下博司『ヒンドゥー教 インドという〈謎〉』 講談社2004年